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中国明末江南の文人と文学
今からおよそ400年前、明代末期の中国江南地方、そこには優雅な文化の花が咲き誇った。通俗文学の旗手とされる馮(ふう)夢龍(ぼうりょう) (1574~1646)、過ぎ去った時代の美しき思い出に生きる冒(ぼう)襄(じょう)(1611~1693)の二人を手がかりに、この時代の社会と文化をさぐる。
馮夢龍の文学
1992年に中国で出版された『馮夢龍全集』は、全部で43冊。馮夢龍には、経書、史書から通俗歌謡、通俗小説にまで及ぶ数多くの著作がある。これを研究し尽くすのが生涯の仕事。これまでは、江戸時代の上田秋成『雨月物語』などにも影響を与えた短篇白話小説集「三言」、そして蘇州の民間歌謡を当時の方言のまま収録した『山歌』が中心。
明末江南の出版文化
現在だれもが読んでいる『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』などのテキストは、明代末期に成立し刊行されたものである。こうした通俗小説が爆発的に流行したのはなぜか? それに対する答えの一つとして、当時の出版文化一般の隆盛を考えた。中国で書物の印刷がはじまるのは唐宋のことだが、印刷された書物が広く流通し、書物を通した知識の普及が本格的にはじまったのは、明末のことであった。これについては最新刊の『中国明末のメディア革命』(刀水書房 2009年)もある。

書物を読む女性(清代の絵画 大木蔵)
明末の青楼文化
明末の南京秦淮の色街(青楼)には、数多くの名妓が登場した。彼女たちは、歌舞音曲はもとより、書画や詩作にも通じた当代一流の文化人であった。明末という時代は、名妓と文人たちとの交際が、文壇の佳話としてとりざたされた時代であった。『中国遊里空間 明清秦淮妓女の世界』では、明末江南文化を理解するための重要項目である青楼世界の再現を試みた。

修復された如皐の名園、水絵園 冒襄もこの水辺を散策したのだろうか。
冒襄と『影梅庵憶語』
冒襄の『影梅庵憶語』は、もと南京秦淮の妓女であり、後に冒襄の側室となった董小宛が若くして亡くなった後、その思い出を克明に綴った回想録である。明末青楼研究の資料としてこの作品を手に取ったのだが、一読、その行文の美しさ哀しさに心を奪われた。冒襄には、生涯の間に師友たちとの間でやりとりした詩文を集めた『同人集』という珍しい文集もあり、これによって、名園とされた水絵園などを舞台に行われた優雅な交遊のさまがうかがわれる。『冒襄と『影梅庵憶語』の研究』は、東洋文化研究所紀要別冊として2010年に刊行された。
班研究
「テキストの生成と伝播」(終了)外部資金
科研データベース基盤研究(C)「中国近世の歌唱をめぐる社会文化史的研究」 (2013~2015年度)基盤研究(C)「明清の王朝交替と杜詩学」(2010~2012年度)
基盤研究(A)「アジア古籍電子図書館の構築の研究」(2004~2007年度)
特定領域研究(A)→特定領域研究「『全明俗曲』の編纂」(2001~2002年度)
基盤研究(C)「東京大学文学部漢籍コーナー所蔵漢籍目録(増補版)の作成」(1998~2000年度)
一般研究(C)「明清戯曲小説図像資料の整理研究」(1995年度)
一般研究(C)「明末文人の日常生活に関する研究」(1992年度)